千の夜をこえて



 黒平安京から戻ってきて、自分が実感している時間と、ここでの時間には隔たりがある。
先刻知り得た事実を、隼人は改めて思った。三年という時間を経て、早乙女博士は偏屈の度合いを増している。
新型の炉心を積み、ゲッターの改修作業を明日から始める、と一方的に告げると部屋から去ってしまった。
「・・・まったく」
一切の反論も質問も聞き入れられなかったミチルは憤慨している。大きく頭を振ると、長い栗色の髪がさらり、と揺れた。
苛立ちを抱えた大きな歩調で一歩を踏み出そうとするが、
「――痛っ」
唐突にそれは遮られた。
振り向き、痛みの原因を探ろうとするが、その動きすら制約を受ける。隼人が己の胸元に視線を下げると、原因はすぐに知れた。
長い艶やかな髪が、ファスナーの金具に絡まっている。
「動くなよ」
そう短く告げると隼人は一房の髪を取り上げる。その気配を察してミチルは後ろ向きに一歩下がった。
 間近に迫った女性の細い肩、栗色の髪はそれをすっぽりと覆い、微かにシャンプーの香りを漂わせている。
――本当に、三年の月日が流れたのだ。その事実が急に五感に迫ってきたような思いに、隼人は密かに目を瞑った。
「取れないのなら、いいわよ」
ほどける気配が無いのを、隼人が手間取っている為だと考えたらしく、ミチルが声をかける。
「切ってしまっても構わないから」
「それは・・・もったいないだろう。せっかく」
(綺麗なのに)
言いかけた言葉は不自然に途切れる。率直な感想を述べるには、隼人はひねくれ過ぎていた。
「・・・手間をかけて伸ばしてるように見える」
「願掛けのつもりで伸ばしてたから・・・もういいの」
笑みを含んだ声で、軽やかに放たれた言葉はしかし、隼人の心に深く沈んだ。
(ならば、それは)
回転が良すぎる、と常日頃言われている頭で考える。いや、思考には満たない、ほとんど感じた、と言っていい程の短い閃き。
しかしそれは間違ってないように思えた。ずいぶんと自分に都合のいい、傲慢な考えかもしれないが。
 隼人の長い指が器用に動くと、はらり、と栗色の髪の毛先は開放され、重力に従って降りようとする。
「とれた?」
それを感じてミチルは隼人から離れようとするが、
「いいや」
「?」
毛先は新たに、隼人の手に絡め取られていた。それを口元に持っていき、しなやかな感触を指先で弄ぶ。
「掛けた願いって・・・何だ?」
「え?」
「俺が覚えているのは、短く整えた姿だ」
このあたりだったか、とでも言うように、空いた方の手で首筋を撫でると、ミチルはぴくり、と一瞬肩をすくめた。
隼人の位置から見える耳たぶが、ほんのり赤く染まって見えるのは、多分錯覚では無い。
「伸ばしていたのはいない間・・・でも今日には、もういいと言う」
「・・・」
「願いは、今日叶ったんだな?」
 少しずつ、論拠を積み重ねていって、じわじわと追い詰める。
一つ一つ確かめるように話すのは、自信が無いわけでも、考えが纏まらないわけでも無い。
相手の逃げ場を失くすためだ。まるで狩りをする獣のように、周到に、したたかに。
発言や行動の裏に逐一、計算を働かせてしまうのは性分だとしても、これでは相手に悪意を持ってるようじゃないか、
と隼人は自分を冷笑したい気分になった。
悪意どころか、正反対の感情を抱いてるくせに。
「今日起こったのは、俺たちが・・・帰ってきた事」
「・・・離して」
拒否の言葉の語調は弱々しい。そして、隼人の言葉を否定するものでは無く、
隼人は己の考えがほぼ間違いではない予感に微笑む。
(素直に認めたらいいのに)
しかし本当に素直だったら、物足りないと思うだろう。彼女の反発は隼人には心地良い。
こんな風に強がりで、意地っ張りで、華奢な双肩をしてるくせに、
地下に引き篭もった博士の代わりに研究所の様々な責務を負っている、そんな彼女だから。
その肩を、抱きしめたいと、思った。
その望みを、あやまたず実行すると、ミチルの体は緊張でびくりと強張った。
構わずに背後から耳元に唇を寄せて、低く、囁く。
「お前は、俺たちの無事をずっと祈っていた・・・違うか?」
その時の長さが、そのままこの髪の長さなのだ。それはとても美しく、さらさらとなびき――
それ故に、うつむいたミチルの表情を隠してしまった。
「違わないわよ。だから・・・離して」
小さく、懇願。隠れた表情からは、嫌がっているのか、そうでないのか判別がつかない。
「嫌だね」
「やっ」
発せられた声に構わず、頬に手をかけて、こちらを向かせようとする。彼女の瞳を、顔を見たかった。
「本当に嫌なら、抗ってみればいい・・・弁慶にしたように」
強引とも言えるモーションに、蹴りを入れて撃退した、という実績を持つミチルである。
真に嫌がられているのであれば、実力行使されるのみ。違うのであれば、それは。
顔を近づけて、瞳を覗き込もうとする。と、寄せた唇を手で押さえられた。
見上げた瞳は、きちんと、隼人をとらえていた。
「嫌味ったらしくて、自信家。人の言質ばかりとっていて・・・ホント、何でこんな人」
その瞳に帯びた光が、鋭いものから柔らかく、華やかな彩りを持つものに変わり、
「ずっと待ってたんだろう」
ふっくらとした唇は弧を描く。
隼人は、こんなにも綺麗に微笑む人を初めて見た。
それが己の腕の中にいるという、この瞬間。
珍しく、本当に珍しく考えるまでも無く体が動く。
 愛しい人にキスをする。
感情のおもむくままに起こされた行動に、拒否反応は無かった。
唇を重ねてから半拍の間を置いて、隼人の頬骨の上をふわり、と毛筆で撫でたような、くすぐったい感触が滑って、
目を閉じている隼人にもミチルがまぶたを閉じた事が知れた。睫毛が当たっているのだ。
その感触が、嬉しい。
ほんの一瞬前、ミチルの微笑みに見惚れ、それが至上のものと感じられたのに、今は自らその視覚を閉ざし、
触覚に心を研ぎ澄ます。触れた唇のやわらかさ、伝わるぬくもり、些細な息遣い、
そういった細やかな感触を逃さぬように。出来ればずっと留めておきたいけれど。
「ん…ふ、ぁ」
ひととき、息継ぎをするように唇を離すと、甘い吐息が零れ落ちる。彼女が発した、言葉にならない声ですら、
空間に溶けて消えるのが惜しくなり、強欲な望みのままに更に深く唇を重ねる。
(もっと、欲しい)
 カツッ、カツン。研究所の床と、ミチルのヒールがぶつかり合って音を立てた。
隼人が上から覆いかぶさっているので、息が苦しくても逃げ場が無いのだ。
それに気付いて少し腕を緩めると、ミチルの体は一時、離れるかと思われたが、しかし。
自由になった腕は、隼人の肩先から首の後ろに回り、ミチルは背伸びをするように抱きつく。
傾けられた顔も、閉じられたまぶたも、まだ、キスして欲しいと、告げていた。まだ、全然足りない。
自然、口の端に笑みがこぼれるのを自覚しながら、隼人はそのまま唇を落とし、
舌先でルージュに彩られた唇を開かせ、口中に侵入する。

           

無機質な研究所の一室に、ぴちゃぴちゃと水音が響き、がらんとした空間の中で、密着した二人の体だけが熱を持っていた。
長いキスに夢中になっているのか、爪先立ちをしているミチルの体は不安定に揺らぐ。
隼人は腰に回した手に力を込めて支え、足を踏み出すと彼女の方へかがみ込む。
そして、思う。
(こんな風に他人を思いやって、己の姿勢を変えたことなんて無かった)
いつも自分のしたい様に生きてきて、それが叶う能力があると思っていたから。
華奢な体躯などは、ただ力の無いものと見なし、取るに足らないものだと振る舞ってきたというのに。
 やがて、名残り惜しげに唇は離され、隼人はそのまま細く柔らかな彼女の体を抱きしめた。
ミチルの首筋付近に顔を埋めれば、シャンプーの甘い香りは、よりいっそう感じられ、
背中に回した手の上を、さらさらと撫でる髪の感触は、ひどく心地良い。
隼人は、その絹のように艶やかな髪を撫でながら、囁いた。
「長いのも、似合っていて綺麗だ。・・・だから切ってもいいなんて言うなよ」









『新ゲッター』でのミチルさんのロングヘアに、意味づけがあるといいなー、と。
あと無造作に伸ばしてたっぽい隼人と弁慶は帰還後に切ったのに、ミチルさんは長いままな事に、隼ミチ視点で深読みを。
まんがにして、本に入れようと思ってたらページがいっぱいでこぼれたネタでした。
なので発行物に微妙に繋がってるような、独立してるような。
いずれにせよ、この辺で「できあがってる」時間軸が大体ウチの設定です。

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